September 14, 2007
初音ミクに朗読をやらせようと思ったら、言葉だけでは片手落ちで、会話の音階と、声量の指定が欠かせない。普段の会話の中で、音階なんて意識をしたことはない。


普段、会話の中からテキストデータしか得ていない人達というのは、情報の取得に半ば失敗しているか、あるいは聞くべき何かを意図的に削除している


初音ミクに自然な会話を教えられる人というのは、何気ない会話の中に音階を見出せる人、絶対音感を持っている人なんかだと、たぶん相当有利

絶対音感の持ち主の「帯域」は、そうでない人に比べて圧倒的に広いけれど、雨の音が音符に聞こえたり、ノイズであるべき音に、いちいち意味を見出してしまったりで、いいことばかりではないらしい

同僚に絶対音感持ちがいるから、その働きは面倒ではあっても、一応持つことが社会的なハンデになるほどではないみたい

多すぎる情報を、脳がそのまま処理できないのは何故なのか? 人間が、プロセッサーの性能向上をはかる代わりに、フィルタ機能を発達させたのは何故なのか?

帯域が広過ぎることによるデメリット、あるいは帯域を狭くしたことによるメリットとは?

昔の人の脳は、あるいはブロードバンドだった。意識なんて余計なものがなかった大昔、頭の中には神様がいて、人間を支持してくれた。ホメロスの時代以降、なぜだか自分なんて概念がでてきて、全部を見ていると騙る意識が帯域を狭めた

たとえば絶対音感、絶対視覚、絶対言語なんてものを兼ね備えたブロードバンド野郎が2人揃ったとすると、2人の行動は決定論が支配する。お互いの概念共有が一瞬で済んでしまうから、そこには議論や思考の発生余地がなくて、

その人達の振舞いは、環境因子により決定論的に支配される。哲学的ゾンビの状態。

ゾンビを人たらしめている因子というのは、要するに外部情報に帯域制限かけて、あえて不完全な情報をプロセッサに突っ込むことで、個体同士の情報共有を阻害したこと

帯域制限のプロトコルそれ自体こそが意識の実体であって、意識というのは基本的に、脳の働きを縛ることで何かの存在意義を持っている。

「僕には数字が風景に見える」の作者の人は、レインマンの中の人に会ったときに全てが「分かった」経験をしたらしい。

脳の働きのほとんどは予測に使われているなんて言われてて、たぶんその説はそれなりの信憑性もあって。で、予測なんて高度なプロセス走らせる余裕があるならば、なんでそれを帯域拡大に使わないのかと

メモリベースアーキテクチャでは、どうがんばっても哲学的ゾンビしか作れなくて、意識をもった人工知能は出現しない。メモリーベースの人達は、「だからこそ意識なんて幻想」と開き直ったりするけれど、それではこの帯域制限を説明できない

抽象化や帯域制限は、計算的に間違って深くなりすぎてしまった問題を、計算的に大きな問題に変換してくれるのか?

Pre-MSIP は拳を介したコミュニケーションは苦手かも…

確率論的な変動が激しい問題を解くときには、速さの持つ意味が大切になる。成功率90%の治療に1週間の準備期間が必要ならば、1時間でいける70%の治療を2つ同時に走らせたほうが

理論成功率は同じぐらいであったとしても、実世界での成功率は、間違いなく70%2系統のほうが高くなる

それでも論文になりやすいのは90%のほうだから、検査は複雑化の一途。ありもの技術でシンプルに早く、の方向にはなかなか進まない

「実世界の把握と判断」というごく漠然とした問題が、脳にとってどれほど大きな、あるいは深い問題なのか。帯域制限をかけることで得られる早さが武器として効いてくるぐらいに、脳の機能には余裕がないのか

それとも余裕ぶっこいてるだけで、神様がサイコロ振りたくて、あえてセンサー狂わす真似してるだけなのか

Twitter / medtoolz : 記憶の音、音の記憶 (仮)

人間の脳力の拡張と制限に関する話。脳力拡張をできる人もいるけど、そのまんま拡げちゃうとオーバーヒートおこしちゃう、と。さて、そこででてくるのが「道具」であり「言葉」ということ (つまりメディウム)。 (※→ 続く)

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